東京高等裁判所 昭和33年(ネ)1964号 判決 1966年9月30日
控訴人 国
訴訟代理人 河津圭一 外二名
被控訴人 宮田正雄
主文
原判決を次のとおり変更する。
控訴人は参加人に対し金六拾参万六千五百七拾七円及これに対する昭和弐拾壱年七月壱日以降右完済に至るまでの年五分の割合による金員を支払ふべし。
参加人のその余の請求はこれを棄却する。
訴訟の総費用はこれを百分し、その壱を控訴人の、その余を参加人の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、被控訴人吉田栄吉が終戦前支那派遣第六方面軍との間に、締結した傭船契約に基き終戦前参加人主張のやうに、米穀等軍需食糧の緊急輪送に従事したこと、その間吉田所有の船舶に損傷があつたこと、昭和二十年八月十六日当時、佐藤甲子寿が右方面経理部長として陸軍会計事務規定による同方面軍の契約担当官であつたこと、右方面軍が吉田に対し、傭船料及船舶修理費を中国中央儲備銀行券(略称「儲備券」)建で合計五億二百万元と査定し、吉田に対する同額の支払債務があることを確認したこと、及当時前記の地位、職務を有してゐた佐藤甲子寿が昭和二十一年五月十三日に右債務の未払なることの債務確認書を吉田に交付したこと、以上の事実はすべて当事者間に争のないところである。
参加人は控訴人の自白の取消に対し異議を述べ、控訴人代理人が原審昭和三十一年四月十二日午後一時の準備手続期日において、原告(被控訴人)主張通りの終戦後における運送の事実を認める旨の陳述したことは、本件記録により明かであるが、本件口頭弁論の全経過に徴すれば、控訴人は原審及当審を通じ一貫して本訴債権のうち傭船料債権についてもそれが終戦後における軍との契約に基いて生じた債権であることを否認していることが明かであつて、右準備手続期日における控訴人の陳述の趣旨も前記栄吉による終戦後の運送の事実があつたとしてもそれは終戦前に第六方面軍との間に締結した傭船契約に基くものである旨を主張するにあつたものと解されるのであつて、このことは原審昭和三十一年九月二十日の準備手続期日における控訴人代理人の主張の要約の陳述によつてもこれを認めることができる。然も、被控訴人は終戦後における輪送の事実について原審において主張しなかつた新な事実をも当審において主張し、原審における主張を補充訂正しているのであつて、控訴人において吉田栄吉による終戦後の輪送の事実を自白したものとは到底認めることができない。従つて参加人の前記異議はその前提を欠き、採用の限りでない。
二、よつて按ずるに、冒頭に認定した当事者間に争のない事実に<証拠省略>を総合すれば、冒頭掲記の吉田栄吉は昭和十三年十一月頃から中支漢口市において吉田洋行なる商号を用いて棉花、雑穀等の買付販売、船舶による運送業等を営んでいた者であるが、昭和十九年頃現地軍の輪送力強化のため漢口市在留の邦人民間輪送業者数名を以て組織された呂武経理部輪送振興隊(呂武集団は支那派遣第六方面軍の別名である)の一員として、右第六方面軍の要請により糧秣等の輪送に従事していたこと、昭和二十年七月初吉田は第六方面軍との間に南昌及九江間の米穀緊急輪送を目的として、傭船契約を締結したこと、吉田はこの契約に基き民間から借上げた船舶十一隻位を以て船団を編成し、河本隆昌をその船団長として一、二日後に漢口を出発させ、九江を経て南昌に向はせたこと、然るに同年七月上旬船団は〓陽湖上において敵飛行機の爆撃に遭ひ船団中三隻が為に大破し、他の般舶も多少の損傷を受けたこと、船団は同年八月中旬終戦と前後して南昌に到着し、南昌において終戦の事実を知つたこと、船団は南昌で大破船三隻の修理を依頼し残余の舶船に米殻を積載してこれを九江まで輪送したこと、他方第六方面軍においては終戦後においても自活の必要上隷下部隊の集結、移動に備へて米穀等糧秣を蒐集する必要に迫られたので、終戦直後頃吉田に対し九江及南昌間の米穀輪送を続行すべきことを要請し、吉田も同年七月初に締結した前記傭船契約におけると同様の条件で右要請に応ずることを承諾し、新に般団を編成し中山某を船団長として漢口を出発させるとともに、当時九江に在つた河本隆昌の率いる船団に対しては右中山某の船団に合流して南昌及九江間の米穀輪送を続行することを指示したこと、九江で合流した河本及中山の船団は同年九月始め頃、九江を出発して南昌に赴き同地で米穀の外兵員等をも積載して九江に帰つたのであるが、当時九江には既に国民政府軍が進駐しており、日本人の漢口帰航は困難な状況となつていた為、河本等は、船団の帰航を中国人乗組員に任せて下船し、同年十月初頃漢口に帰着し、船団も同年十一月に入つて漢口に帰着したこと、吉田は前記終戦直後における軍の要請に基き、同じく米穀輪送の為神谷某の率いる別の船団を岳州に向はせたが、右神谷も河本等の帰着後間もなく漢口に帰還したこと、第六方面軍においては国民政府軍による資産の接収が行はれる以前に終戦時までに現地で負担した軍の債務の決済を急ぎ、吉田に対しても船舶修理費を除いて終戦時までの傭船料を当時九江にいた前記河本を通じて支払ひ決済したこと、吉田は遅くとも同年十一月中に第六力面軍に対して終戦後の傭船料及船舶の損傷による損失の補償としてその修理費の支払を請求し、軍もこれに基いて傭船料を四億五千九百七十五万元、船舶修理費を四千二百二十五万元、以上合計五億二百万元と査定し、吉田に対し右額の支払義務があることを承認したが、当時軍は既に国民政府軍に資産を接収された後であつた為、その支払をすることがでず、止むなく右債務の弁済は後日における政府の処置に俟つこととして吉田に対し同人の中国人船主に対する船舶の借上料、船員に対する給料の支払等を為すべきことを要請し、吉田も自己の所有財産を処分し不足分を在留邦人から借入れてこれら債務の処理をしたこと、而して第六方面軍は昭和二十一年五月十三日吉田の帰国に際し、同方面軍経理部長佐藤甲子寿名義を以て前記傭船料及船舶修理費が未払である旨の債務確認書を吉田に交付したこと、およそ以上の事実を認めることができる。
三、以上認定の事実によれば、本訴請求にかかる債権のうち傭船料四億五千九百七十五万元は支那派遣第六方面軍と吉田栄吉との間に昭和二十年八月十六日以後締結された傭船契約に基き同日以後に為され輪送により生じた債権であると認めるの外はない。
控訴人は、終戦後の現地における軍の集結移動、国民政府軍の進出等の状況に照し、右認定のやうな終戦後の傭船契約に基く米穀等の輪送の事実は有り得ない旨主張するけれども、たとへ終戦後の現地の状況が控訴人主張の通りであつたとしても、このことは必ずしも右の認定と両立しないものではなく、控訴人の右主張は未だ以て右の認定を覆す根拠とすることはできない。なほ<証拠省略>には本件傭船料債権が恰も、昭和二十年七月初に第六方面軍と吉田栄吉との間に締結された傭船契約に基いて生じたものであることを示唆するかのやうな記載があるけれども右の各書証の多くは軍が内地帰還前若しくは帰還の直後に作成したもの又は吉田栄吉が帰国後早々の時期に作成したものであつてこれら書証の作成者はいはゆる戦時補償打切の措置を意識していなかつたものと推測され、また前記二記載の認定事実からも窺ふことができるように、終戦後の契約に基く輪送も実際上は恰も終戦前の輪送の継続であるかのやうな状態で行はれたのであつて、右各書証の作成者等は右のやうな事情が相俟つて第六方面軍の吉田に対する傭船料債務が未払であることを記述することに主眼を置き、契約締結及び輪送の時期について終戦の前後を区別することにさしたる注意を払はず、その為に記述が正確を欠くに至つたものとも考へられる。従つて前記書証はいずれも、前記の認定に対する反証としては未だ十分であるとは言い難く、またこれらを除いて他に右の認定を覆すに足る証拠はない。してみれば本訴請求にかかる債権のうち傭船料四億五千九百七十五万元につは爾余の争点に対する判断は暫く措き、一応控訴人にその支払の義務があるものとは謂はなければならない。
然しながら<証拠省略>によれば、昭和十九年当時軍が中支において日本人船主と締結した傭船契約においては、傭船期間中に敵機の襲撃等により沈没、破損又は乗組員の負傷、死亡等の損害が生じた場合に軍がその事情を審議し正当と認めたとは、損害箇所の復旧修理を為すとともに相当の賠償金を支払ふ旨の特約が為されていたことを窺ふことができる。してみれば昭和十九年当時よりも更に戦局が悪化した翌昭和二十年においても中支において軍が邦人民間輪送と締結する傭船契約には右と同様の内容の特約が包含されていたものと推定するのが相当である。従つて他に特段の事情の認められない本件においても、昭和二十年七月初先に認定したように吉田栄吉が第六方面軍との間に締結した傭船契約の中で右に掲げたのと同様の内容の特約が両者間に為されていたものと推定される。
参加人は右七月初頃に締結された傭船契約においてはこのやうな特約は為されていなかつた旨主張するけれども、この主張を肯定し、右の認定を覆すに足る証拠はない。
而して吉田の船団が同年七月上旬バン陽湖上において敵機の襲撃によつて損害を受け、南昌においてその修理を為し、軍が船舶修理費として吉田に対し四千二百二十五万元の支払義務のあることを承認したことは先に認定した通りであるから、右の船舶修理費債権は終戦前である、昭和二十年七月初に締結された契約に基き、同月上旬頃敵機の襲撃による損害が生じた時に発生したものであつて、控訴人の主張する通り戦時補償特別措置法に定める戦時補償請求権に該当し、同法の定めるところによつて消滅し、戦時補償特別税の納付があつたものと看做されたものと謂はなければならない(吉田栄吉が同法第十四条及同法施行規則第二十五条の規定による所轄税務署長に対する申告をしなかつたことは参加人の明かに争はないところである)。
参加人はなほ吉田が昭和二十年七月初頃に第六方面軍との間に締結した傭船契約中に前記のやうな損害補償の特約がなされていたとしても、軍は右特約とは関係なく吉田に対し改めて損傷船舶の修理費を軍において負担することを約定したものである旨主張するけれども、この主張に副う証拠がないばかりでなく、仮に参加人が主張するやうに軍が終戦後の契約の際に改めて船舶修理費を負担すべきことを約定した事実があつたとしてもそれは既に発生している軍の、債務を再確認したに止るものと解するのが相当であつて、本件船舶修理費債権が戦時補償請求権であることについて何等の消長を来すものではない。
以上の次第であつて、本訴請求のうち船舶修理費四千二百二十五万元に関する部分は爾余の争点についての判断を俟つまでもなく失当である。
四、よつて進んで本訴請求にかかる債権のうち先に認定した儲備券建傭船料債権四億五千九百七十五万元の邦貨への換算に関する争点について判断する。
参加人はこの点について第六方面軍は、昭和二十一年二月頃吉田に対し同人帰国の上日本政府において儲備券百元対邦貨十八円なる当時の法定換算率によつて換算した邦貨を以て債務の支払をすることを確約した旨主張する。而して外貨建債権について、債務者が邦貨を以てその支払をする場合に換算の方法について当事者間に特約があればその特約に従うべきものであるが、参加人の提出援用にかかるすべての証拠によつても軍が吉田に対し参加人主張のやうな約定をしたとの事実はこれを認めることができないのであつて、参加人の右の主張は採用の限りでない。
次に参加人は本件儲備券傭船料債権額邦貨への換算については、昭和十八年大蔵省令第十三号及この省令に基いて発せられた、昭和十八年三月三十一日大蔵大臣通牒蔵計第二百七十号の適用があり、この省令及通牒に定める儲備券百元対邦貨十八円の換算率によるべきものであると主張する。然しながら右省令はその規定自体からも明かなやうに内地と中支を含む右省令に謂う特別地域との間における送金を必要とする場合の国庫金の受払に関する支出官等の事務手続の特例を定めたものであつて、その点正しく控訴人の主張する通りである。従つていま仮に右省令の施行後終戦までの間に本件儲備券建傭船料債権について本邦にある国の支出官が中支にある債主吉田栄吉に対し送金の方法によつてその支払をしたものとすれば、右省令第二条第三項の適用があつた筈であり、また中支にある陸軍の資金前渡官吏が本邦にある債主吉田栄吉に対し同じく送金の方法によつてその支払をしたものとすれば右省令第九条第三項の適用があつた筈であると言うことは出来るとしても、現に国が右の債権について本邦にある債主たる吉田栄吉乃至その承継人である本件参加人に対しその支払をするに当つては右省令従つてまたこれに基く前記通牒の適用の如きはおよそ問題となる余地なく、支出官は専ら現行支出官事務規程の定めるところに従つて事務を処理すれば足りるのである。然のみならず、前記省令は現行支出官事務規程等と同様に支出官等国の会計機関が国の会計事務を処理する場合の事務取扱の準則を定めたものに過ぎないのであつて、国とこれに対する債権者との間の債権関係の実質について規律するものではなく、この実質を規律するものは、私人相互間の債権関係における場合と同様に民法その他の実体法の規定である。而して本件におけるような外貨建債権について邦貨を以てその支払をする場合の換算の方法は正しく債権関係の実質に関する事項であり、この点に関する当事者間の特約の存在が認められない以上、右換算の方法は民法第四百三条の規定に従つてこれを定めるべきものである。
従つて、本件に前記大蔵省令及これに基く前記大蔵大臣通牒の適用があることを前提とする参加人の主張もこれを採用することができない。
五、外貨を以て表示された債権額の邦貨への換算について民法第四百三条の定めるところを要約すれば、債務者が現にその債務の支払をする当時(本件におけるやうに訴に基いて判決で債務の支払を命ずる場合には事実審における口頭弁論終結の日)の当該債務の本来の履行地(現実に支払をする地ではない)における当該外貨と邦貨との実際の為替相場によつて邦貨への換算を行うべきものとするのであつて、その趣旨は邦貨による支払を受けることによつて当該債務の本来の履行地において、その債務を表示する外貨そのものを取得したのと同一の効果を債権者に享受せしめようとするものである。而して当該外貨と邦貨との為替相場によつて換算を行うべきものとするのは、外国為替市場において形成される実際の為替相場が当該外貨と邦貨とのそれぞれの購買力を基礎とした両通貨の相対的価値、即ち両通貨の実勢比価の端的な表現に外ならないからである。従つて若し何等かの事情(例へば戦争内乱、革命等)によつて換算の基準となる時期(債務者が現に払をする時又は事実審における口頭弁論終結の日)現在の債務支履行地における当該外貨と邦貨との為替相場が存在しない場合には、例へば当該外貨と邦貨のそれぞれとの間に為替相場のある他の通貨を媒介とし、或は直接に物価指数を基礎とする両通貨のそれぞれの購買力を比較する等の方法によつて両通貨の実勢比価を明かにし、これによつて換算を行うべきものと謂はなければならない。
いまこれを本件について見るに儲備券が既に強制通用力を失つた過去の通貨であることは公知の事実であつて、<証拠省略>によれば中支においては、昭和二十年九月十一日中華民国政府により、儲備券二百元対法幣一元の交換比率が定められて、昭和二十一年五月末日までに右比率によつて、儲備券が回収されることとされ、儲備券は同年六月一日以降強制通用力を失つたこと、しかし儲備券に代つて通貨となつた法幣も千九百四十八年(昭和二十三年)八月の通貨改革によつて金円券に置き換へられ、この金円券もまた千九百四十九年(昭和二十四年)七月の通貨改革による銀元券の発行によつてその強制通用力を失い、更に同年十二月中華民国政府の台湾移転とともに中華人民共和国政権下の人民券が中国全土に流通するに至つたことを認めることができる。
以上のやうな次第であるから現在儲備券と円貨との間に為替相場の有り得ないことはもとより、両通貨の現在における実勢比価を明かにするというやうなことも問題とする余地がない。
右のやうな場合には、儲備券から現在中支を含む中国全土に流通している人民券に至るまでの通貨改革の迹をたどつて儲備券を人民券に換算した上でこの人民券で表示された債権額を人民券と円貨との実勢比価によつて円貨に換算するということも不可能ではない。然しながら儲備券が現在の人民券に移行するまでの過程において中支では日本軍から中華民国政府へ、同政府から中華人民共和国政権へという実力による政権の交替とこの政権の交替に伴ふ新な通貨制度の実施という債権関係の当事者の予期を越えた偶然の事実の介入があるのであつて、この過程における旧貨から新貨への移行は言はば恣意的に行はれたものと言うも過言ではない。
従つて以上のやうに一国内において平穏に正常の手続を経て通貨の改革が行はれたのではない本件の場合に儲備券を現在の現地通貨人民券に換算し、この人民券と円貨との実勢比価によつて本件儲備券建債権額を邦貨に換算することは民法の前記規定の文理には一見忠実であるかのやうではあるが決して債権者及債務者間の衡平を期する所以ではなく、却つて前述した右規定の本来の趣旨に悖るものと謂はなければならない。
ところで右に述べたように外貨建債権について債務者が現にその支払をする時又は事実審における口頭弁論終結の日の現在を基準として現に当該地域に流通する通貨を媒介として間接的に問題となつている当該外貨と邦貨との交換率を定めこの比率によつて換算をすることが不相当と認められる場合には、当該債務の本来の履行期を基準としてその時の債務履行地における為替相場又はこれに代るべき当該外貨と邦貨との実勢比価によつて換算をすべきものと解されるのであつて、手形法第四十一条第一項の規定の如きも右の方法による解決の合理性を裏付けるものと謂うことができる。而して本件においては前記二において認定したように吉田栄吉が第六方面軍に対し本件傭船料等債権について支払を請求したのは遅くとも、昭和二十年十一月中と認められるので、他に反証がない限り本件傭船料債権の本来の履行期は遅くとも同月中に到来したものと認定するのを相当とする。従つて本件儲備券建傭船料の債権額を円貨に換算するには、昭和二十年十一月当時の中支漢口市における儲備券と円貨の為替相場、若しこの為替相場が存在しない場合にはこれに代るべき儲備券と円貨のそれぞれの購買力を基礎とした両通貨の実勢比価によるべきこととなる。然るに昭和二十年十月十五日以後わが国においては控訴人主張の昭和二十年勅令第五百七十八号及同年大蔵省令第九十八号によつて外国為替取引が全面的に禁止され、従つて、右同日以後においては儲備券と円貨の為替相場の有り得る筈はなく、従つて為替相場に代るべき両通貨の実勢比価によつて換算を行うべきものとしなければならないところ、本件においては昭和二十年十一月当時における儲備券と円貨の実勢比価が如何程であつたかを直接に認定することの出来る資料はこれを発見することが出来ないので、本件に顕はれた証拠により認めることの出来る一定時期における両通貨の実勢比価を基礎とし、これによつて右昭和二十年十一月当時における両通貨相互の実勢比価を類推するの外はない。而してその為には先づ以て儲備券発行後における同通貨の円貨との関連における価値の推移を明かにする必要がある。
六、いずれも<証拠省略>を総合すれば、昭和十五年三月に樹立された汪精衛南京政府は翌十六年一月南京に中央儲備銀行を設立し、当時流通していた法幣にパーでリンクする儲備券が発行されたこと同年十二月八日太平洋戦争勃発以後、中支においては儲備券による通貨の統一工作が進められることとなり、昭和十七年五月には儲備券と当時流通していた軍票との交換レートが百元対十八円と定められ、また儲備券対法幣のレートは一対二に改訂されて同年六月以降儲備券一対法幣二の割合によつて法幣の全面回収が実施されたこと、昭和十八年に至り前記汪政府の太平洋戦争参加を機として中南支においては儲備券による通貨税一を徹底させる方針が取られ、同年四月一日政府は軍票の新規発行を停止するとともに儲備券と日本円の換算率を百元対十八円と公定し、外国為替取引もこの換算率によらせることとし、また内地と中南支間における国庫金の送金手続の関係においても先に掲げた昭和十八年大蔵省令第十三号及同省令に基く、昭和十八年三月三十一日大蔵大臣通牒蔵計第二百七十号によつて右の換算率を指定換算率として用いることとしたこと、然しながら当時既に中南支においては戦線の拡大に伴う戦費調達の為の儲備券の増発、重慶政府による儲備券切崩工作等によつて儲備券の実価の下落が始つていたので政府は前記の換算率を公定すると同時に為替管理法に基いて内地への送金を規制することとして中南支からの送金についても個別許可制を取り、爾後現地におけるインフレイシヨンの進行及これに伴う儲備券の実価の下落の程度に即応して控訴人主張の通り遂次送金規制を強化し、最終的には控訴人主張の通り、昭和二十年八月十一日附蔵外管第七千七百二号大蔵省外資局長通牒「日支間資金交流実施細目」によつて送金額を月額五十万円以下に制限するとともに、三百円以上の送金については、前記公定換算率によつて換算した儲備券表示額の七十倍の調整金を為替銀行を経て外資金庫に納入することを条件として送金を認めることとし、その結果右規制措置の下においては儲備券百元対邦貨十八円の公定換算率は名目上なほ維持されてはいるものの儲備券と邦貨の実質的な換算率は控訴人主張の通り七千百元対十八円に改められたのと同一の結果となつたこと、他力臨時軍事費の関係においても予算の膨張とこれに伴う国債の増発を抑制する為上記の送金規制措置と対応して、昭和二十年三月一日以降控訴人主張の通りの外資金庫法に基く調整措置が取られることとなつたこと、この措置の下においては、これを中支について言へば、軍が中支において支払う経費中の物件的経費については臨時軍事費資金に前記公定換算率十八分の百を乗じて得た金額とこれに一定の調整倍率を乗じて得た外資金庫資金の額との合計額を儲備券を以て現地会計機関に一括交付するという方法が取られたのであつて、右調整倍率は現地における物価の情況に応じ概ね四半期毎に閣議で決定され、中南支関係については昭和二十年七月以降は閣議の決定により同年八月四日勅裁を得て百二十九倍と定められたこと、従つて同日以降においては臨時軍事費の関係では儲備券と円貨の換算率は控訴人主張の通り一万三千元対十八円に修正されたのと同一の結果となつたのであつて、上記の外資金庫法に基く調整措置が実施された昭和二十年三月一日以後は、軍事費予算の関係においても百元対十八円の公定換算率は単なる名目的な数字となつたこと、なほ終戦後政府は引揚者の持帰金の円貨との交換軍事郵便貯金、軍事為替の支払等について一定の限度を限り公定換算率による儲備券の円貨への交換を実施したが、これはあくまでも政策的見地に基いて取られた措置であつて、公定換算率が儲備券と円貨の実勢比価を反映しているとの理由によるものではなかつたこと、およそ以上の事実を認めることができる。
七、右に認定した事実によれば、昭和十八年四月一日以降政府は日本軍支配下にあつた当時の中南支地域を恰も内地の延長として取扱い、同地に流通する儲備券に円貨に準ずる地位を与へて百対十八の割合で儲備券を円貨にリンクさせる方策を取つたものであることが窺はれる。
従つて当時右の儲備券百元対十八円の換算率によつて内地と中南支間の送金等の為替取引が何等の制限をも加へられることなく自由に行はれる状態であつたとするならば、右の換算率は民法第四百三条に定める為替相場に代るものとしての儲備券と円貨の実勢比価を表はすものと謂うことができるのであるが、先に認定した通り政府は右の換算率を実施すると同時に中南支からの内地への送金について制限を加へ、爾後現地物価の状況に応じてこの制限を加へ、爾後現地物価の状況に応じてこの制限を遂次強化して行つたのである。従つて百元対十八円の換算率が民法の前記規定に謂う為替相場そのものでないことはもとより、既にその実施の当初から儲備券と円貨との実勢比価を反映するものとしての実質を有したとすることもできないのである。而して本件に顕はれた資料に基く判断の限りにおいては、上に認定した外資金庫法に基く臨時軍時費の調整措置における臨時軍時費に対する調整倍率百二十九倍を適用した結果生ずる一万三干元対十八円が終戦の直前の時期における儲備券と円貨の実勢比価に最も近似したものと考へられる。
蓋し、右の調整倍率は当時なほ日本軍の支配下に在つた中南支における現地物価の状況に応じて閣議の決定により昭和二十年八月四日勅裁を得て、定められたものであつて、爾後右倍率は変更されることなく終戦時に至つたのであるからである。もつとも先に認定した昭和二十年八月十一日附蔵外管第七千七百二号の送金規制措置も終戦前最後に取られた送金規制措置であり、この措置の適用の結果生ずる儲備券と円貨の換算率七千百元対十八円も等しく現地物価の状況に応じたものではあるが、右の送金規制措置の下においては送金額の七十倍の調整金の納付の外一箇月の送金額が五十万円以下に制限され、また三百円未満の金額については公定換算率が適用されることとなつていたのであるから、右の七千百元対十八円は終戦の直前における儲備券と円貨の実勢比価に対する近似値としては前記の一万三千元対十八円に比し遥かに劣るものと謂はなければならない。
八、右に説明した通り儲備券一万三千元対邦貨十八円が終戦直前の時期における両通貨の実勢比価に最も近似したものと考へられるのであるが、当裁判所は、本件儲備券建傭船料債権額を邦貨に換算するについても右の比率によることが最も公正且つ妥当な解決であると判断するものであつて、右の比率によるときは儲備券建債権額、四億五千九百七十五万元は邦貨六十三万六千五百七十七円となる。
もとより終戦後現地における日本軍の敗退と儲備券の支柱であつた汪南京政府の崩壊によつて儲備券の価値は更に下落し、先に認定した国民政府による儲備券二百元対法幣一元の交換比率の法定によつて儲備券の価値の下落は更に拍車をかけられる結果となつたことは想像に難くなく、従つて先に認定したやうに本件儲備券建傭船料債権額を邦貨に換算するについての基準となる時期を右債務の本来の履行期である昭和二十年十一月とした場合、当時の儲備券対円貨の実勢比価は終戦直前のそれに比し、儲備券にとつて更に不利となつていたものと推測される。然しながらこのやうな終戦後における儲備券の価値の急激な下落は日本軍の敗退、汪南京政府の崩壊、国民政府による通貨改革というやうな偶然の事実によつて惹起されたものでありこれらの偶然の事実の介入によつて急激に下落した儲備券の購買力と終戦後の混乱があつたとは言へ中支とは事情を異にする日本国内における円貨の購買力の比較を基礎とした両通貨の実勢比価を換算に用いることは債権者にとつて甚しく酷であつて債権関係の当事者の衡平を図る所以ではない。然のみならず前記二において認定したやうに終戦の直後吉田栄吉は先に昭和二十年七月初に第六方面軍との間に締結した傭船契約におけるのと同様の条件で米穀輪送の続行を承認したのであるから当事者間に約定された傭船料の料率も右の終戦前の契約におけるものと同一であつたものと認められ、従つてまた本件傭船料の数額も当事者の意思としては終戦の直前である昭和二十年七月頃の儲備券の実勢価値を念頭に置いて定められたものと考へるのが至当である。
このやうな理由からも債務の履行期である、昭和二十年十一月当時における儲備券の現地における実際の購買力を基礎とすることなく、前記終戦の直前における両通貨の実勢比価が上述したような偶然の事実の介入がなければ、昭和二十年十一月当時までなほ維持されたであらうとの想定の下に儲備券一万三千元対邦貨十八円の換算率をその当時における儲備券と円貨の実勢比価に最も近似したものとして本件に適用することは当事者の意思にも合致し、債権者及債権者間の衡平をもたらすものと謂はなければならない。
控訴人は在外公館等借入金の返済の実施に関する法律の別表に定める儲備券二千四百元対邦貨一円の換算率を本件についても適用すべき旨主張する。本件傭船料債権が右法律に謂う借入金に該当しないことは勿論であるが、等しく終戦後現地において発生した国に対する債権である点においては、本件傭船料債権も右の借入金と異るところはないのであるから債権者間の公平を図るため本件のやうな債権についても右法律に謂う借入金と同一の取扱をすることは、立法論としては傾聴に値するが、二千四百元対邦貨一円が換算の基準となる時期における儲備券と邦貨の実勢比価を反映するものとして右の比率を本件にも適用すべしとの論は遽に首肯することができない。即ち、<証拠省略>を総合すれば、右二千四百元対邦貨一円の換算率は中支において在外公館等による借入が最も盛んに行はれた昭和祁二十一年二月及三月当時における上海及東京における米の価格を基礎として法幣十二元対邦貨一円の比率を算出し、これに国民政府が法定した儲備券二百元対法幣一元の交換比率を乗じて得たものであることが明かであつて、資料の制約による止むを得ない措置であるとは言へ、上海及東京における米価のみを基礎とし、また国民政府の法定した儲備券と法幣の交換比率をその儘採用した点においてかなり恣意的なものがあると謂はなければならず、控訴人主張の右の換算率を、昭和二十年十一月当時における儲備券対邦貨の実勢比価或はその近似値として、本件傭船料債権について適用することは妥当を欠くのである。従つて右控訴人の主張はこれを採用しない。
九、控訴人は第六方面軍当局が吉田栄吉に対してした邦貨内地払の約定は法律上の効力を生じない旨主張する。参加人が主張するやうに若し第六方面軍当局が吉田に対して同人帰国後内地において本訴債権につき邦貨による支払をすることを約定したとすれば、右の約定は旧外国為替管理法第一条第四号に定める「外国ニ於テ為シタル委託」に該当すると解すべきものであることは控訴人の主張する通りであるが、控訴人主張の、昭和二十年勅令第五百七十八号第一条第二項の規定によつて無効とされるのは右の委託に基いて本邦内で為される支払又はその受領であつて、委託そのものが無効とされているわけではない。然のみならず、第六方面軍当局が吉田栄吉に対し邦貨内地払の約定をしたとの事実は当裁判所の認定しないところであるから、いずれにしても控訴人の右主張は採用に値しない。
控訴人はまた本件儲備券建債権について本邦で邦貨による支払をすることは外国為替管理令第十一条の規定による大蔵大臣の許可がない限り、外国為替及び外国貿易管理法第二十八条の規定により許されない旨主張する。しかしながら右法律の規定で制限されているのは本邦で邦貨によつて為される現実の支払行為なのであつて、本件のやうな外国で発生した外貨建債権について債権者が訴を提起し、その支払を請求することが制限されているわけではなく、前記政令の規定による大蔵大臣の許可は債権者が勝訴判決に基く執行をする際にこれを得れば足りるのである。従つてこの点に関する控訴人の主張もまた採用の限りでない。
控訴人は更に本訴債権について消滅時効を主張する。被控訴人は、右抗弁は時機に後れて提出せられたものであると主張するが、これにより著しく本件訴訟を遅延せしめるものとは認められないから右申立は却下する。而して先に認定した本件傭船料債権について商法第七百六十五条に定める一年の短期消滅時効の適用があることは控訴人の主張する通りである。
然しながら第六方面軍当局が吉田栄吉に対して本件傭船料等債務五億二百万元について支払義務があることを承認し、同方面軍が昭和二十一年五月十三日方面軍経理部長名を以て右債務が未払である旨の債務確認書を吉田に交付したことは先に前記二において認定した通りであつて、右債務確認書が交付された当時の状況から判断すれば、当事者はなほ現地に在つて内地の事情も未だ十分に明かとなつてはおらず、従つて後日政府によつて右債務が処理されるまでにはなほ相当の日時を要することを当事者は当然に予期していたものと謂うべく、従つて第六方面軍と吉田との間には右債務確認書が授受される際に暗黙に右債務を国の通常債務とする旨の合意が成立したものと解するのを相当とする。してみれば本件傭船料債権は前記昭和二十一年五月十三日以後国に対する通常の金銭債権として五年の消滅時効に服するに至つたものであつて、五年後である昭和二十六年五月十二日の経過とともに一旦消滅時効が完成したものと謂はなければならない。
然るところ成立に争のない甲第三号証によれば、昭和二十八年十一月十日当時引揚援護庁復員局経理部長であつた美山要蔵は吉田栄吉に対し同人に対する五億元の国の未払債務のあることを証明する旨の文書を交付したことが明かであつて、控訴人は右証明書の交付により本件傭船料について債務の承認をしたものと解するのを相当とする。
従つて前記美山経理部長が証明書交付当時本件傭船料債権について既に消滅時効が完成していたことを知つていたと否とに拘はらず、控訴人は以後五年有は消滅時効を主張することができないものと謂はなければならない。而して前記証明書が交付された昭和二十八年十一月十日以後五年内に本訴が提起されたことは記録上明かであるから、控訴人の消滅時効の抗弁も結局その理由がなく、これまた採用することができない。
一〇、最後に吉田栄吉が、昭和二十一年六月中に控訴人に対し本件傭船料債権についてその支払を求め、また参加人がその主張の通り吉田栄吉から債権の譲渡を受け、参加人主張の通り債権譲渡の通知が控訴人に対しなされたことは当事者間に争のないところである。
してみれば控訴人は参加人に対し、本件儲備券建傭船料債権額を邦貨に換算した金六十三万六千五百七十七円及これに対する吉田栄吉が控訴人に対し弁済の請求をした日の後である昭和二十一年七月一日以降右完済に至るまでの年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
よつて参加人の本訴請求は右の限度においてこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却すべく、右と結論を異にする原判決は民事訴訟法第三百八十四条及第三百八十六条の規定によつて右の趣旨にこれを変更し、訴訟費用の負担に付同法第九十二条及第九十六条を適用し、主文の通り判決する。
なお参加人の申立にかかる仮執行の宣言は本件については相当でないのでこれを付さないこととする。
(裁判官 平賀健太 加藤隆司 安国種彦)